2年半勤めた絨毯の会社を退職するころ、「ペルシャ語関係の仕事で、働ける方を募集しています」というお話をいただきました。その仕事とは、東京都の西の方にあるF刑務所での仕事でした。そこは、日本人だけでなく、外国人も収容している男性刑務所。
会社で残業中に聴いた曲がきっかけで、みるみるうちにSIAM SHADEというバンドにはまっていきました。当時インターネットはあったものの、まだSNSもスマホもなくて、掲示板(BSS)と呼ばれる、文字でやり取りをするスレッド(?)が主流でした。バンドのことを調べているうちに、ボーカルの栄喜(ひでき)さんが掲示板を立ち上げたことを知りました。
さて、ありがたく就職させていただいた社員ひとりの絨毯の会社でしたが、今振り返れば、私が勝手な思い込みをして、社長さんとの雰囲気を固いものにしていたような気がします。きちんとコミュニケーションをとろうとしていなかったのでしょうね。たくさんのことを学ばせていただいたにもかかわらず、不満が募り、結局2年半で退職してしまいました。
会社では、絨毯の仕入れで年に2回、社長と奥様がイランに行きます。彼らがイランに行くときは、たいてい1ヶ月間かけて行き、その間会社には私ひとりです。もくもくと事務仕事だけするならいいのですが、ショールームなのでたまにはお客様も来るし、取引先から突然、「今度のセールスの写真を撮るから絨毯持ってきて!」と言われたり。
初めて正社員として採用されたものの、社員ひとりの会社で、たった2週間の引継ぎ。コピー機は古いし、本棚はガタっと音を立てて、突然棚板が外れるし、経理も初めて、接客業も初めて。毎日、社長さんが隣に座ってシーン……とした中で仕事をする。有線放送のBGMがかろうじて空気を中和してくれていました。
人生初の正社員としての就職。イランやペルシャ語のご縁で採用していただいたペルシャ絨毯の会社は、当時新宿3丁目、職安通り沿いにありました。すでに「職業安定所」が「ハローワーク」という名称に変わっていましたが、通りの名前は以前のように「職安」のままでした。
前回は昭和の空気漂う、のんびりとした平和な某研究所でのアルバイトの話でした。その後、大学でお世話になったあのH教授を通して、「ペルシャ絨毯販売をしている会社で社員を探している」という話をもらいました。その会社の社長さんは、大学時代にもイラン関係のイベントでお会いしたことがあり、そのお話を嬉しく思いました。
大学卒業後にイランへ留学するのですが、かなり長くなってしまうので留学の話は、また別の記事でご紹介します。留学後、日本に帰ってきて大学院受験をしたのですが、まぁ見事に勉強不足で落ちました。私自身、何のために勉強するか、かなりぼや~っとしていたので、大学院はさっさと諦めました。
後半の旅行では、現地の旅行会社にお世話になりました。 どこからどこまで添乗してもらったのか記憶が定かではないのですが、 添乗員はアミールという20代の好青年でした。アミールは「日本人旅行者は お行儀がよくて一番いいね」と言っていました。
大学3年生の時に行ったイランへの3週間の現地研修。前半は提携校であるシーラーズ大学にお世話になり、ペルシャ語の授業を受け、イランの大学生と交流をしたり、郊外の遺跡や遊牧民、美術館などを見たりしました。その後、シーラーズを離れてバスで移動し、砂漠の町でゾロアスター教が鳥葬をしたという丘や、農村の様子を見ながら、首都テヘランへ北上していきました。