入学した学部が、アジアのことを学ぶ国際関係学部だったため、第2外国語はアジアの言語から選ぶことになりました。中国語が断トツに多くて、毎年(といっても私でまだ4期)、ペルシャ語とベトナム語は最下位を競っていました。
私は決して空手をするために大学に行ったのではありません。かといって、「絶対、これをやるぞ!」などという固い決意みたいなものもなかったのですが、入った学部がちょっと面白い学部だったので、楽しみにはしていました。私が高校を卒業して大学に入った年は、昭和が終わり平成になった年でした。元号とはあまり関係がないとは思いますが、ちょうどその頃、“国際関係”という言葉(学問?)が流行ってまして、あちこちの大学で「国際関係学部」というのができていました。
中学・高校では軟式テニスをして、特に高校ではテニス一色になってしまったので、大学に入ったら、「もうテニスはやらない!」とかたくなに思っていました。大学サークルがどんなものかもまったく知らないのに、そう思ってしまったために、なんと私は空手部に入ることになりました。日本の何かをやってみたいな、という気持ちもあったので、空手部に入ってみたのですが……
あなたはどうやってアイデアを出していますか? アイデアは動きながら考える 私はアイデアを考えるための時間というのは、わざわざ設けていなくて、 頭の中に「種」というか「素」というか、 「○○について、何かいいアイデアはないかな?」 「あれはど... もっと見る
高校生の頃、自分が空気中に溶けてなくなってしまえばいいと思っていました。「死んでしまいたい」というような強い気持ちではなく、小さい粒になって、もしくは空気と一体となって、溶けてしまいたいと思っていました。
私は色々なことを、まんべんなくやりたくなる人でした。なので、あれだけ厳しい軟式テニス部に入っていたとはいえ、しっかり別の活動もしていたのです。前々回に書いた友達同士で作成した小冊子もそうですし、漫画研究会の幽霊部員でもあり…
前回、友達と小冊子を作ったことを書きましたが、やはり高校生活のメインは部活で、中学から引き続いて軟式テニス部に入りました。顧問の先生が高体連の先生で、男子はインターハイに出るのは当たり前というくらいの、強い部でした。一方、女子の方はそれほど強くなかったのですが……。
高校生になって最初のクラスは、座席が名簿順に並んでいました。 幸運にも、その席の順番で仲のよい友達ができました(は行の友達が2人、た行の友達がひとりできました)。面白いことに、それぞれ部活が違って、趣味も違うのですが、なんとなく好みが合い、「一緒に小冊子を作ろう!」ということになりました。
高校は自分の成績ではなんとか頑張ってギリギリ入れるところを目指しました。というのも、私の成績でちょうどいい高校には嫌な先輩がいたんです。嫌な先輩がいるかどうかで高校を選ぶというのもどうかと思いますが、どうしても行きたくなかったんですよね……。
書き方コンサルタントのふじいみほです。 「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。 * * * 大した話ではありませんが、中学校のエピソードで、ちょっと恥ずかしい話でも書いてみようと思います。 中学... もっと見る