書き方コンサルタントのふじいみほです。
「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。
* * *
高校生の頃、自分が空気中に溶けてなくなってしまえばいいと思っていました。
「死んでしまいたい」というような強い気持ちではなく、小さい粒になって、もしくは空気と一体となって、溶けてしまいたいと思っていました。
小学校も中学校も、高校でも、イジメられることはなかったし、家庭でもそれほど大きな不満はありませんでした。(親に対する不満やいらだちはありましたが、爆発するほどの大きなものではありませんでした)
それでも、なぜか「自分がなくなってしまったらいいのに」と思っていました。
もしかしたら、それは、コンプレックスから来ていたのかもしれません。
私はすごく太っているというわけではなく、いわゆる中肉中背のタイプですが、細くはないので、やはりとても気になっていました。
特に、足が太かったし、お尻も大きくて、いわゆる「下半身太り」でした。
まだ「セクハラ」という言葉がなかった時代、部活でお世話になった他校の先生から、「おまえ、ケツでかいな!」と思いっきり言われたこともあります。
服を買いに行くと、試着室で自分の全身を見るだけで気持ちが萎えてしまいます。
自分の体形に似合う服を探すのは本当に大変で、服を買いに行くのはあまり好きではありませんでした。
また、美容室でも、足元まで見える鏡があると、ケープの下から見える太い足首がとても嫌でした。
顔は、口元に大きなほくろがあったので、なんとなく嫌だなぁと思っていました。
中学時代の同級生で、女の子だったけど、今で言うKYなんでしょうね。パタパタパタッと私に近寄ってきて顔を覗き込み、「あー、ホントだ! ほくろから毛が生えている」と大きな声で言うのです。
……嫌われていたんですかね。
大人になってからも、全く知らない人に、「鼻くそついてる」と言われたり。
でも、「親からもらった体だしな」なんて思っていたら、20代のある日、母親が形成外科に行くと言いだしました。
母は首元の細かいほくろが嫌で、とってもらいたいとのこと。
私にも「(口元の)ほくろ、取っちゃいなさいよ」と言いました。
内心ものすごくびっくりしましたが、「母がそういうなら取っちゃうか」と思い、ちょうどピアスの穴も開けたかったので、母と一緒に形成外科に行くことにしました。
形成外科の先生に話をすると、「ピアスの穴を開けるのと、ほくろを取るのと、2ヵ所いっぺんにやるのは嫌だなぁ」とブツブツ半分独り言のように言い、ちょっと悩んでいるみたいでした。
結局、「耳の方からやりましょう」と言われ、その日はピアスの穴をあけました。
ほくろの方は、実際に施術してもらうと、時間がかかることがわかりました。
薬を塗って絆創膏を貼り、しばらくしたらまた病院に行って、薬を塗って絆創膏を貼る。それを何度か繰り返して、ほとんどほくろがなくなるところまで通院しました。
とってしまえば、まぁ、そんなに固執するほどのものでもなかったのだな、と思いました。
ほかにも、毛深くて手足を出すのがいやだったし、髪の毛も、ものすごいクセっ毛で、サラサラの真っすぐな髪をしている友達を見ると、いいなぁと思わずにはいられませんでした。
何を着てもダサい感じがしたし、勉強もそれほどできるほうではなく、運動部にいたものの、脚は遅いし持久力はないしで、こうして書いてみると、かなりポンコツですね(苦笑)。
だから、「空気中に溶けてしまいたい」なんて思っていたんだろうなぁと、最近までは解釈していたのですが……
2020年12月に「風の時代」に入ったと言われ、たまたま(だとは思うのですが)最近ではスピリチュアルを専門とした人とご縁が多く、私自身もスピリチュアル的なことを勉強し始めました。
そうすると、あの頃「空気中に溶けてしまいたい」と思ったのは、「もしかしたら、魂が帰るところか、過去世(別の人生)を懐かしく思っていたのかもしれない」なんて、思うこともあります。
ついでに書いておくと、現実的には、コンプレックスのおかげで自ら「一般的」なところから外れようと思いました。大学でペルシャ語を選択し、イランへ留学するという稀な経験をすることができたのは、その最たるものです。
2022年6月の時点では、まだまだ私の人生は続きそうなので、これらの経験が一体どんなことにつながっているのか、これから先の「答え合わせ」を楽しみにしているところです。
(つづく)
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