書き方コンサルタントのふじいみほです。
「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。
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私は色々なことを、まんべんなくやりたくなる人でした。
なので、あれだけ厳しい軟式テニス部に入っていたとはいえ、しっかり別の活動もしていたのです。
前々回に書いた友達同士で作成した小冊子もそうですし、漫画研究会の幽霊部員でもあったので、新入生勧誘用のポスターも描いたり、文化祭の時だけ作品を出したりしていました。
後輩でめちゃくちゃ絵がうまい子がいて、「こういう子がデビューしていくんだろうなぁ」と思ったものです。
小学生の時に高校生のお姉さんにイラストをもらったことを思い返して、自分も同じ学校でイラストを展示していて不思議な気持ちでした。
部活に漫画に、友達との創作活動に、なんてやっていれば、当然時間はどんどんなくなるわけで、勉強はイマイチでしたね~。(^_^;)
英語は中学までは、英会話から続いていた英語塾のおかげで、それほど勉強せずに済んでいましたが、それが逆にあだになりました。
予習というものを知らなかったのですね、私……。
小冊子を一緒に作っている友達はみな真面目で優秀。予習はしっかり行い、テストもバッチリ。(大学受験では2名が推薦で、早稲田と筑波大に行きました)
私はといえば、とうとう3年の1学期に、化学で赤点を取ってしまいました。
暗記物が苦手で、化学のベンゼン環あたりがぜんぜんダメでした。歴史も超苦手。
英単語の暗記も本当に辛かった。
色々やりたい性格も災いして、今でもちょっと後悔していることがあります。
芸術系の選択を、1年生では音楽を選んだのです。私、漫研なのに。
漫研だから音楽を選んじゃいけない、ということはないのですが、美術を選んでいたらもう少し絵も上手くなっていたかもしれません。
当初の予定では2年生で美術に変える予定だったのですが、ほとんどの人が1年生と同じ選択をしていて、それに流されてしまったんですね。「ま、いっか」なんて。
小学生の時にピアノを習っていたので、楽譜は読めるのですが、それほど強い興味があるわけでもなく、音感も良くはなく、なんとか単位を取った感じです。
ただ、自由課題でチェロを弾いたり、女の子同士でバンドを組んでレベッカの「フレンズ」などを演奏したりしたのは面白かったです。
この頃、渡辺美里さんの人気が出て、それにつられて小室哲哉さんの名前が知られるようになり、TMネットワークの人気も高まってきました。
……でも、個人的にはファーストアルバムやセカンドアルバムの頃のTMネットワークが好きだったなぁ、なんてフクザツな気持ちでした。
(つづく)
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