ライフヒストリー

社会人8-「自分の名前を書くことができない」という衝撃

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「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。

書くことや言葉との関わり、転職あれこれを書いていますが、「こんなヘンなところがあるんだ!」というのも面白がっていただければ幸いです。

  *   *   *

2年半勤めた絨毯の会社を退職するころ、「ペルシャ語関係の仕事で、働ける方を募集しています」というお話をいただきました。

その仕事とは、東京都の西の方にあるF刑務所での仕事でした。

そこは、日本人だけでなく、外国人も収容している男性刑務所。
国際対策室という名前の部署で、もともと刑務官として入所した職員のほか、英語、中国語、スペイン語、ペルシャ語など、各国語の担当職員がいました。

私と同年代の方は覚えていらっしゃるかもしれませんが、上野にたくさんのイラン人がいたことがあります。
残念ながら、悪い仕事の話に関わってしまい、日本の刑務所に入るイラン人が多かったのですね。
そのため、ペルシャ語担当は職員のほか、外部協力者と言われる人も数名働いていました。

私はペルシャ語担当職員の産休代替として雇われました。
7ヶ月くらいの短い期間でも、代替職員となると公務員になるのです。

「こんなに簡単に公務員に なれるのか!?」

と軽い驚きを感じつつ、入所手続きをしたことを覚えています。

(イメージ)

さて、この外国語担当の人たちは何をするかというと、通訳・翻訳(検閲)が主な仕事です。

ひと言で通訳といっても通訳をする場所は様々でした。
入所時の手続きから始まり、何か問題があった時の調査や、医師にかかる時、仮釈放前の面談、時には所外の医療刑務所まで行くときもありました。

翻訳は何かというと、入所者が発送する、または受け取る手紙の翻訳が主なものでした。
入所者は毎月決まった回数、手紙を送ることができ、その内容に問題はないかという検閲をしてから発送します。内容の概略を記録し、問題がなければ発送します。

入所時検査の時に驚いたのが、自分の名前を書けない人がいるということでした。
中国人の中には自分の名前が書けず、中国語担当の職員が代わりに書いていることがありました。

イランでも、おそらく現地では読み書きできない人はいるのだと思いますが、日本まで来るイラン人は、読み書きはできる人が多いのでしょう。
私は、名前を書けない人には会いませんでした。

小さい頃から私たち日本人は何かと自分の名前を書いてきましたよね。
テストとか、提出物とか。

書くことができない世界(もしかしたら読むこともできない、という世界)とは、一体どんなものなのでしょうか?
日々当たり前に読んだり書いたりしている私にとって、自分の名前が書けない、というのは大きな衝撃でした。

なんとか産休代替の期間を終え、その後もしばらく外部協力者としてお世話になり、本当に貴重な体験をたくさんさせていただきました。(あちこちで貴重な体験をさせていただいている……)

しかし、語学というのはキリがなくて、「仕事として続けるほど私は突き詰められない」と思い、語学で食べていくという選択肢は、自分の中から手放すことにしました。

(つづく)

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