コーチングを勉強し始めてから、ビジネスについても勉強することが面白くなり、異業種交流会や各種セミナーにも参加するようになりました。その延長線上で、あるユニークな会社と出会うことになります。入り口はコミュニケーションを学ぶスクールなのですが、その実践場所として、ハウスクリーニングの仕事を提供している会社がありました。
「その人の中から答えを出す」というところに魅力を感じて、勉強を始めたコーチング。そのカリキュラムの中には、自分でクライアントを探すことも入っていました。異業種交流会に行ったり、ビジネス書を読んだりして、営業やセールスなども少しずつ勉強しました。
コーチングとの出会いは、私にとってけっこうインパクトがありました。それまで、転職を繰り返してきたし、本はたくさん読んでいたものの、あくまで「会社で働く人」のカテゴリの中のことでした。しかも、私自身は事務職しか経験がなく、営業職のように社外へ出てお客様を獲得することとは無縁の仕事ばかりでした。
やっと働きだした20代半ば、でしたが……。このブログに書いたことだけでなく、アルバイトや派遣社員、正社員として何社か渡り歩き、かなり転職をしていました。ペルシャ語を学んだこともあり、某県警でペルシャ語を教えることや、前回の記事で書いたように、某刑務所で通訳や翻訳、検閲をしていたこともありました。
2年半勤めた絨毯の会社を退職するころ、「ペルシャ語関係の仕事で、働ける方を募集しています」というお話をいただきました。その仕事とは、東京都の西の方にあるF刑務所での仕事でした。そこは、日本人だけでなく、外国人も収容している男性刑務所。
会社で残業中に聴いた曲がきっかけで、みるみるうちにSIAM SHADEというバンドにはまっていきました。当時インターネットはあったものの、まだSNSもスマホもなくて、掲示板(BSS)と呼ばれる、文字でやり取りをするスレッド(?)が主流でした。バンドのことを調べているうちに、ボーカルの栄喜(ひでき)さんが掲示板を立ち上げたことを知りました。
さて、ありがたく就職させていただいた社員ひとりの絨毯の会社でしたが、今振り返れば、私が勝手な思い込みをして、社長さんとの雰囲気を固いものにしていたような気がします。きちんとコミュニケーションをとろうとしていなかったのでしょうね。たくさんのことを学ばせていただいたにもかかわらず、不満が募り、結局2年半で退職してしまいました。
会社では、絨毯の仕入れで年に2回、社長と奥様がイランに行きます。彼らがイランに行くときは、たいてい1ヶ月間かけて行き、その間会社には私ひとりです。もくもくと事務仕事だけするならいいのですが、ショールームなのでたまにはお客様も来るし、取引先から突然、「今度のセールスの写真を撮るから絨毯持ってきて!」と言われたり。
初めて正社員として採用されたものの、社員ひとりの会社で、たった2週間の引継ぎ。コピー機は古いし、本棚はガタっと音を立てて、突然棚板が外れるし、経理も初めて、接客業も初めて。毎日、社長さんが隣に座ってシーン……とした中で仕事をする。有線放送のBGMがかろうじて空気を中和してくれていました。
人生初の正社員としての就職。イランやペルシャ語のご縁で採用していただいたペルシャ絨毯の会社は、当時新宿3丁目、職安通り沿いにありました。すでに「職業安定所」が「ハローワーク」という名称に変わっていましたが、通りの名前は以前のように「職安」のままでした。