書き方コンサルタントのふじいみほです。
「過去と未来をつなぐライフヒストリー」として、私の半生を辿っています。
小学4年生になると学童クラブがなくなります。
たまたま近所に、母が中学生のころお世話になった英語の先生が住んでいて、自宅で英会話のクラスをやっていました。
「学童がなくなったら来させなさいよ」
そう先生に言われて、私は週1回、その先生の英会話のレッスンに通うことになりました。
その英会話教室には、あちこちの小学校から、6~7人の小学生が通っていました。
その先生の方針は、「中学校にあがってから英語の授業がつまらなくならないように」という理由で、
・小学生のうちは英会話のみ
・文法や英作文は中学生になってから
というものでした。
小学生のうちは “How are you?”からの英会話と、英語の歌やかるた、ことわざ、絵本を読むことなどをしていました。
動詞の活用はプリントをもらって、毎週少しずつ覚えていきました。
たまに洋画のビデオを見ることもあり、「サウンドオブミュージック」はとても印象に残った映画です。
先生からスイスのおみやげで、グリンデルワルドの美しい風景の絵ハガキをもらい、憧れの場所となりました。
初めて英語で外国人と話したのも、その先生の教室でした。
外国人のお客様が来て、レッスンに参加してくれたのです。
やさしい人だったんでしょう、つたない英語だったと思いますが、小学生の英会話の相手に付き合ってくれていました。
その時の、「英語が通じた!」という体験は私に大きな影響を与えたようです。
後に、文法や英作文、長文読解、単語の暗記など、苦手なものばかりになってしまいましたが、唯一、「発音はいいね」と先生に褒められたので、話すことは自分の中で苦手意識のないものとして残りました。
(とは言っても、語彙数が少ないので、限界はあるのですが……)
英語教室に通っているうちに、1回だけ、母親参観がありました。
いつものレッスンと同じく、あいさつから英会話の練習が始まりました。
私の母も見に来てくれて、心の中では「英語をしゃべれるようになったんだよ!」「ほめてくれるかな?」と、ちょっと舞い上がっていたみたいです。
帰り道で、「どうだった?」と母に聞くと、私の予想とは別に、こんな答えが返ってきました。
「声が小さかったわよ」
(え?)
てっきりほめてくれるとばかり思っていた私は、一気に気分が落ちてしまいました。
私の母というのは、普段は特に厳しいということはなく、普通に「勉強しなさい」と怒るくらいでしたが、「どうしてここで厳しくなるの?」というところで変に容赦がありませんでした。
そのおかげで、もともと引っ込み思案のところがあったのが、さらに自己肯定感が下がっていきました。
その日はしょげて帰ってきましたが、英語教室自体は楽しかったです。
5年生のころ、お父さんの仕事でサンフランシスコに行ってしまった友達からの紹介で、ペンフレンドができました。
中国人の、芸能界デビューを予定していたほどのかわいい女の子で、ゴールデンゲートブリッジのそばに住んでいるお金持ちでした。
20歳になった時に、サンフランシスコまで彼女に会いに行っているので、今思えば、けっこう長く文通していたんですね。
この英語教室のおかげで、中学までは英語はそんなにガリガリやらなくても点数が取れていましたが、受験の頃から次第に苦手意識がついてしまいました……。
(つづく)
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