書き方コンサルタントのふじいみほです。
「過去と未来をつなぐライフヒストリー」として、私の半生を辿っています。
長野の冬は、大人にとっては雪かきという大仕事があります。
寒いのは嫌でしたが、子供にとっては、夏と同じくらい楽しいことがたくさんありました。
祖母の家は山の中腹にあり、下から上がってくると、駐車スペースから敷地に入り、畑の前を通ってスロープを上がり、母屋に行く、という形になっていました。
畑もスロープも雪で覆われます。
(冒頭の写真は、畑に積もった雪の中で遊ぶ、弟と私です)
さらに、毎日雪かきや屋根の雪下ろしをして、その雪が畑や家の前に積み上がっていきます。
あっという間に庭にミニゲレンデが出現!
積み上げた雪は母屋の屋根に届くくらいになり、そこからスロープ、畑へとコースができあがります。
ソリや、子供用の小さいスキーくらいなら滑ることができました。
積もった雪を横から掘るだけで、かまくらもできました。
車で15分くらいのところに、こじんまりとしたファミリースキー場があり、雪かきが終わると、叔父家族と一緒に毎日のように滑りに行っていました。
これは後で母から聞いた話ですが、私と弟にスキーを教えるために、父親がわざわざ、新潟県の浦佐にあるスキー学校にまで行って学んできたそうです。
そういう意気込みで、私たちにスキーを熱心に教えてくれてました。
叔父や叔母は、自分たちも滑りたいので、さっさとリフトに乗ってゲレンデの上まで行ってしまいます。
その息子であるいとこも一緒に行き、上からさーっと滑ってきます。
その間、父と一緒にいる私と弟、母は何をしていたかというと―――
ゆるい斜面をひたすら横になって登り(スキーを履いて斜面を登るわけです)、ボーゲンという基本的な滑り方を父から習っていたのでした。
教えてもらいながらゆっくり降りてきたとしても、登る方が時間がかかるのです。
何度も登ったり降りたりして、足が痛くなりました。
(このせいで私の足は太くなったんじゃないかと思ったものです……)
お気づきかと思いますが、いわゆる“体育会系”のノリだったんですね。
どやされはしませんでしたが、地道な練習でした。
でも、そのおかげで私と弟は、ボーゲン、ウェーデルン、パラレルターンまで滑れるようになりました。
そんな体育会系のスキーだったので、ゲレンデや食堂で休憩する時間はとても楽しみでした。
ゲレンデでは、雪の上にドカッと座って、家から持ってきたミカンなどを食べ、景色を眺めるのが気持ちよかったです。
天候が荒れると辛いですけど、天気がいい日のゲレンデは本当に気持ちがよくて、大好きでした。
リフトに乗って下の雪面を眺めていると、ウサギの足跡らしいものが見えるのも楽しかったです。
食堂は、昔の小さいスキー場だったので、ラーメンとかカレーとか、定番のメニューでした。
家族やいとこたちと一緒に食べるのも楽しかったです。
撮影したフィルムを家で見る時は、ふすまをスクリーンにしてちょっとした上映会になりました。
(つづく)
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