書き方コンサルタントのふじいみほです。
「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。
両親が共働きだったため、小学校に上がると放課後は「学童クラブ」に行っていました。
夕方5時くらいまで、子供を預かってくれるところです。
2年生までは、通っていた保育園と同じ建物の中にある学童クラブへ、てくてく歩いて通っていました。
時々、保育園にいる弟と、弟を迎えにきた母親と、3人で一緒に帰ることもありました。
ひとりで先に帰って家でぽつんと待っているより、3人で帰るほうが嬉しくて、保育園の先生には嫌がられましたが、母が弟を迎えに来るまで待つこともありました。
その学童クラブは、上の階に児童館がありました。
学童クラブで一緒の友達も、そうではない友達も、児童館で一緒に遊べるのがよかったです。
ピアノがある3畳間程度の小さい音楽室とか、木工や石膏で工作をする工作室。
ボールやマットが置いてある広いスペースは遊び場でもあるし、時々映画鑑賞の場にもなりました。
当時私がはまったのは、「アメリカンフラワー」というハンドメイド。
ディップフラワーとかマニュキュアフラワーとも言われているようです。
針金で花びらや葉っぱの形を作り、トローっとした液体に形作った針金を漬けて引き上げると、セロファンのような透明な膜ができます。
それを乾かせたあと組み合わせ、緑色のテープで茎となる部分をくるくる巻くと、お花のできあがり。
今考えると、すごく大人っぽい趣味ですが、かなりはまりました。
道具を買ってもらい、家でも作っていました。
ひとりでもくもくと何かを作るというのが好きだったようです。
(つづく)
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