「過去と未来をつなぐライフヒストリー」と題して、私の半生を辿っています。
書くことや言葉との関わり、転職あれこれを書いていますが、「こんなヘンなところがあるんだ!」というのも面白がっていただければ幸いです。
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ハウスクリーニングの会社に3年くらいはいたのですが、どうも打ち込み過ぎたというか、そのうち体がついていかなくなってしまったので、退職しました。
その後、絨毯の会社にいたころにお世話になっていた、絵画を扱っている会社の専務に声をかけていただき、1年ほどその会社で営業事務と経理をさせてもらいました。
経理のような事務は、その会社のやり方というものがあり、ずっとひとつの会社にいると、ほかの会社がどうやっているのか、知らないままでいることが多いものです。
なので、こうしてまた別の会社で経理をさせてもらうことで、
「こういう流れでやっていくのか」とか、
「ファイルをこうやって使うとわかりやすいのか」など、
引継ぎを通して非常に勉強になりました。
その会社が扱っている絵画は、油絵などの原画もありましたが、リトグラフやシルクスクリーンといった版画を主に扱っていました。
私は小さい頃からお絵描きはしていたものの、美術や芸術に関してはほとんど無知だったので、始めて知る作家ばかりでした。
人気の作家で、必ず展示会には出品されるビュッフェという画家の絵は、物の輪郭が力強い黒い線で描かれていて印象的。一目で覚えてしまう作家です。
ジャン・ジャンセンというバレリーナを描いた作家の作品も、たいてい毎回出品されていました。
私自身は展示会場へ行くことはめったになく、展示会前の準備で、社長が手書きしたリストをExcelで清書するとか、商品に貼るカードを作るとか、そんなことをしていました。
絵を見ている分にはいいのですが、ここの社長さんがなかなか難しい人で、10年近くもいる営業さんにも出品リストは作らせない。営業さんたちのシフトは社長が3週間分ずつ決める。(なぜか1ヶ月分は作れなかったのですよね……)
そんな感じだったので、社員の入れ替わりは激しく、残っていた社員さんたちは、ほぼイエスマンのようでした。
私自身は事務職だったものの、そんな状況を見て、「ここに10年いても変わらないな」と思い、1年足らずでした。
退職した理由はもうひとつあって、ビジネス書で色々と学んできて、「収入源は複数作る」という考え方に共感してしまい、副業を始めていたのです。
そちらの方が面白くなってきていた、というのも退職を後押しした理由でした。
どんな副業をしていたのか、続きは次回に。
(つづく)
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